2025年4月1日からSNS規制が始まるという現実が、もうすぐそこまで来ています。僕は、このことを考えるたびに、心が落ち着かなくて、つい夜更かししてしまいます。この規制が僕たち国民にどんな被害をもたらすのか、真剣に想像すると、なんだか不安で胸がいっぱいになるんです。今回は、その「被害」に焦点を当てて、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。
自由な声が消える日
SNS規制が始まったら、僕たちが最初に失うのは「自由に話す権利」だと思います。僕にとってSNSは、思ったことを気軽に発信したり、誰かに声を届けたりする大切な場所です。でも、規制が入れば、そこで何を言っても「監視されている」と感じるようになるでしょう。自由に意見を言うことが怖くなったら、僕たちは自分の声を押し殺すしかなくなります。
たとえば、僕が「最近の政治はおかしいな」とつぶやいただけで、それが誰かに「問題あり」と判断されたら、投稿が消されるかもしれない。それどころか、アカウントごとなくなってしまう可能性だってあるんです。声を出せなくなった僕たちは、まるで息を止めさせられたみたいに生きることになる。そんなの、考えただけで息苦しいですよね。
知る権利が踏みにじられる
さらに恐ろしいのは、SNS規制によって「真実を知る権利」が奪われることです。SNSって、テレビや新聞では見られない視点や、生の声を聞ける場所だったじゃないですか。でも、規制が強まれば、都合の悪い情報はどんどん隠されてしまう。僕たちに届くのは、誰かが「これならOK」と選んだ情報だけになってしまうんです。
たとえば、大きな問題が起きても、それがSNSで話題にできなければ、僕たちは何も知らないまま過ごすことになる。真実が隠された社会で、僕たちは何を信じればいいのかわからなくなる。知る権利が奪われた国民は、まるで暗闇の中で手探りで歩くようなもの。どこに向かっているのかもわからないまま、転んでしまうかもしれないんです。
平和ボケが僕たちを飲み込む
僕は、よく「日本人は平和ボケしてる」って言葉を聞くけど、SNS規制が始まったら、そのボケ方がもっとひどくなる気がします。声を上げられなくなり、真実を知る手段が減れば、ほとんどの人は「どうせ何もできない」と諦めてしまうんじゃないかな。疑問を持つことすら忘れて、毎日をただ流されるように生きていく。そんな姿って、僕には「生きた人形」みたいに見えてしまいます。
たとえば、不条理なことが目の前で起きても、「仕方ない」で済ませる人が増えたら、この国はどうなるんだろう。考えることをやめた国民は、どんどん無力になっていく。平和ボケが進めば進むほど、僕たちの未来は誰かに操られるだけのものになってしまうんです。
見えない鎖に縛られる未来
もっと怖いことを言うと、SNS規制は僕たちを「見えない鎖」で縛る第一歩かもしれません。声を出せない、知る権利もない、ただ黙って従うしかない。そんな状況って、自由な人間じゃなくて、まるで操り人形や奴隷みたいですよね。僕は、そんな未来を想像すると、心がざわついて仕方ありません。
たとえば、生活のために「我慢するしかない」って自分を抑える日々が続いたらどうなるか。意見を言えば何か失うかもしれない恐怖に縛られて、僕たちはどんどん小さく縮こまっていく。一人でもがいても、誰にも届かない。そんな社会で、笑顔で生きられる人ってどれだけいるんでしょう。気づかないうちに、心まで「殺されて」しまう気がするんです。
日本は静かな戦場に
大げさに聞こえるかもしれないけど、僕は、今の日本は「静かな戦場」みたいに感じています。戦う相手は、外国じゃなくて、僕たちの自由を奪おうとする力そのもの。爆弾や銃声はないけど、じわじわと権利が侵されていくこの状況は、戦争と同じくらい怖い。平和ボケしてる多くの人がそれに気づかないまま、流されていくのが、僕には悔しくて仕方ないんです。
僕がみなさんに伝えたいこと
SNS規制が始まる4月以降、僕たちにどんな被害が広がるのか、まだ全部は見えない。でも、確かなのは、このまま黙っていたら、失うものがどんどん増えるってことです。僕は、この流れに流されるつもりはないです。たとえ小さな声でも、できる限り発信し続けたい。だって、自分の思いを閉じ込めるなんて、僕には耐えられないから。
みなさんにもお願いしたいことがあります。この規制が自分や周りの人にどんな影響を与えるのか、少し考えてみてほしいんです。声が奪われ、真実が見えなくなる社会で、本当に幸せに生きられるのか。僕は、みなさんと一緒に、この国の未来をちゃんと見つめたいです。4月が来る前に、目を覚ます人が一人でも増えたらって、心から願っています。
コメント