ありがとう小泉さん?古米が映す国民の思考停止

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ありがたがって古古古米に並ぶ国

正直なところ、もうこの国の現状を見るのがつらくなってきた。

農林水産省と、そこに群がる天下りの無能な官僚たち。その怠慢と責任放棄の果てに、僕たち国民は「三年前に収穫された」「家畜の飼料になる寸前」の古古古米を、炎天下のなかで四時間も並んで買わされている。しかも、それが“ありがたい”ことかのように報道されている。

テレビで流れる映像は、どう見ても演出くさかった。マスク姿でインタビューを受ける人たちの多くは、おそらくマスコミが仕込んだ“エキストラ”だろうと僕は思っている。「これが国民の声です」と言わんばかりに映し出して、世論を作り上げるのが、彼らのいつもの手口だ。

報道の目的はただ一つ。「国の施策は正しい」と思わせること。ありがたがる姿を見せ、思考を止めさせる。それを疑いもせずに受け入れる人がいまだにいることが、僕には恐ろしくて仕方ない。

税金で買った古米を金出して買い戻す不条理

備蓄米というのは、もともと僕たち国民の税金で購入されたものだ。それを長年倉庫に寝かせ、すでに食用に適さなくなってから「特別放出」などと名をつけて売りつけてくる。つまり僕たちは、自分たちの税金で買ったものを、もう一度お金を払って買い戻している。しかもそれが、家畜の餌として扱われる寸前の品質だというのだから、怒りを通り越して呆れる。

ちなみに、アメリカ・ロサンゼルスでは、日本産の新米が5キロで3,000円前後で普通に売られているという。別にありがたがる必要もないし、誰かに並ばされることもない。それが、同じ日本の米だ。なぜそれが、日本国内では“ありがたい特売品”になるのか。

目先の安さに食いついて、「小泉進次郎さん、ありがとう」なんて本気で言ってる人もいると聞いて、僕は言葉を失った。なぜ米が足りないのか。なぜここまで古い米しか出てこないのか。考えようともしない。それどころか、感謝の気持ちすら抱いている。この状況を滑稽だと思わない人がいることが、今の日本の危うさそのものだ。

思考停止はコロナ騒動から何も変わっていない

こうした構図は、何も今に始まったことじゃない。コロナの時もそうだった。テレビで連日不安を煽り、マスク、ワクチン、自粛――疑問を口にすることすら許されない空気がつくられ、皆がそれに従った。

そして今また、同じように思考停止のまま、古米に列をなす人たちがいる。テレビが言っていたから。みんなやっているから。それだけで行動してしまう。

僕はなんとか希望を持とうとしてきた。世間に合わせようと努力し、ポジティブな意識で生きようとしてきた。でも、ここまで来ると、もう僕一人の努力じゃどうにもならない。日本という国の壊れ方は、僕の想像をはるかに超えている。

本当は、こんなことを書くのは嫌だ。でも黙っていたら、ますますこの国はおかしくなる。それが分かっているから、僕は今こうして書いている。見たくないものでも、見てしまった以上は、無視できないからだ。