努力しても搾取されるだけの社会で、50代はどう生きるか

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土曜日と信じた金曜日、そして気の緩み

昨日から今朝にかけて、本気で今日は土曜日だと思い込んでいた。完全に気を抜いていた。しかし現実は金曜日。しっかりとした平日だった。もっとも、無職の身には平日も休日も関係ないのだが、世間的には土日祝は会社も休みが多くて、気分が少し楽になる。不安というより怠け心の方が勝つ。

仕事探しよりも、仕事作りが必要な年代

仕事は探さなければいけないのは頭ではわかっている。しかし現実として、まともな会社は50歳の人間を積極的には雇わない。いろんな考え方があるだろうが、50代で無職になった人間にとっては、仕事を探すことと同じくらい、いやそれ以上に「仕事を作る」ことが重要になってくる。

そして、「疲弊してでも働くことが正義」と考える人は、今の社会の構造をまったく理解していない。日本政府は、努力して働く人間をターゲットにして税金を搾り取る。特に大手の利権グローバル企業以外で働いている人は、働けば働くほど国に吸い取られる仕組みになっている。

限界が近づく社会と崩れる経済構造

だが、その仕組みも限界が来ている。たとえ利権企業であっても、今のままならトランプ氏に関税をかけられる流れになっている。そうなれば、日本の大企業も中小企業も崩壊のスピードが加速する。7月5日までに石破氏はこの件について答えを出さなければならない。解決策としては消費税を撤廃するしかないが、それは現実的には難しいだろう。

残された人生をどう生きるか

何でもいいからとりあえず働く、という気持ちにはなれない。残された人生がそう長くもない中で、再び精神を病みながら働くのは避けたい。50代で無理な仕事をすると、冗談抜きで命に関わる。実際、かつて自分が10年勤めたブラック企業では、50代の同僚が過労で突然死した。あの頃は自分も若くて、体調を崩す程度で済んだが、今なら命を落とす可能性もある。

現実は厳しく、副業でつなぐ日々

求人検索をしても、ブラック企業の求人しか目に入らないのが現実。もう覚悟を決めなければならないと分かってはいるが、その覚悟がどうしても決められない。そんな中、今は求人検索をしながら、副業も続けている。

副業は定年がない。自分が動けるうちは続けられる仕事だ。調子的には、まあまあ、こんなものかなという感じ。某5ちゃんねるのスレに書き込まれている金額よりは稼げている。でも、それだけで生活できるほどではない。収入の額は別にどうでもいい。本当のことは書かない。最近はそのスレッドを動画のネタに使っている。

AIがストーリーを自動で作ってくれるので、それをそのまま修正せずにYouTubeにアップしている。修正すると逆につまらなくなるので、フィクションも含めて「物語」として楽しんでもらえたらと思っている。

それでも、今日も求人検索は続ける

今日は平日最終日ということで、まあ求人検索でもするかという気分だ。とはいえ気合を入れるつもりはない。気合を入れたところで、世間は50代無職の人間に冷たい。それは自分に限った話ではない。50代で無職になれば、誰でも「リスク」と見なされて相手にされない。現実はそういうものだ。