
今朝は5時に起きたけれど、やはり心も体も不調だった。ずっと家にこもっている生活が続いていると、こういう状態になるのも無理はないのかもしれない。今日は部屋の掃除をする予定なので、この文章を書き終えたら、すこし体を動かしてみようと思う。
陰謀論に対する考え方の変化
ちょっと前は陰謀論についてよく考えていたけれど、最近はあまり気にしなくなった。というよりも、考え方が変わってきたのかもしれない。世の中というのは、ある意味で「裏で動く力」によって成り立っているものだということが、自然なこととして理解できるようになった。
たとえば人間だけではなく、アリやハチといった虫の世界にも秩序や役割分担があり、そこにはある種の“裏の構造”が存在している。それが社会の仕組みであり、生き物の営みの本質でもあるのだと思う。
表と裏のバランスをどう受け止めるか
日本は現代化されているように見えるが、表に出てこない力――たとえば国際的な影響力や経済的な構造――がなければ、今の形にはなっていなかったはずだ。良いか悪いかは別として、そうした「裏の力」があることで社会が動いているのは確かだと思う。
すべてを日本国内の力だけで動かすのは難しい。世界全体がそうであるように、日本の社会にも「建前」と「本音」がある。そして、今の日本人は建前ばかりを見せられて、本音を見せられないまま生活している気がする。
けれど、その建前を上手に受け入れて生きていくのも、ひとつの処世術なのかもしれない。本音ばかりに目を向けすぎると、必要以上に悩んだり苦しんだりしてしまうこともある。
裏の世界を見すぎないという選択
この世に裏があるのは当然で、それがあるからこそ表が成り立つ。もし裏の部分に陰謀的なものがあったとしても、それをすべて知ろうとする必要はないのかもしれない。
たとえ世の中に理不尽な出来事が起きたり、人が次々に命を落とすような状況が起きたとしても、それを「運命」として受け入れることで、自分の心を守ることができるのではないか。そんなふうに思うようになった。


