
5ちゃんねるを見ていたら、「12時間立ちっぱなしの仕事をしてる」という人の書き込みを見かけました。ディスクワークの経験がない僕からすると、それが普通という感覚もありました。でも、それはあくまで“若い頃”の話。
体力というのは、年齢によって確実に変わります。特に40代前半と後半では、まるで別人のようにガクンと落ちてくる。
40歳と45歳では、体がまったく違う
40歳のときは、まだどこか「俺はまだやれる」という余裕がありました。けれど、45歳を過ぎたあたりから、それが一気に崩れてくる。疲れやすくなるし、関節や腰も痛む。昔やっていたような肉体労働なんて、もう身体がついてこない。やろうと思っても、無理が効かない。
求人を探しても、底辺職と言われるような仕事は、年齢に関係なく「体が資本」。ほとんどが肉体労働です。だから、応募すらためらってしまう。50歳の男に、30代と同じレベルの体力を求められても、どうしても追いつけない。
続かない仕事を選んでも、傷つくだけ
「とにかく働け」「何でもいいからやれ」って言う人もいます。でも、体力的に続かないって分かっている仕事に無理やり応募しても、結局すぐ辞めることになる。それが続くと、心もすり減ってくる。
しかも、短期で辞めると余計な出費がかさむ。制服代や靴代を取られた挙げ句、1日か2日で退職すれば赤字です。これは冗談じゃなく、本当にある話。
老いと向き合い、自分に合った生き方を見つける
老化は止められないし、体力も落ちていく一方です。できることが減っていくのは、自然の摂理。だからこそ、無理に過去と同じ働き方を求めず、自分なりに“無理がかからない生き方”を見つけていくのが大事だと思います。
失ったものを嘆くより、新たに得られるものを探す。そういう心構えでないと、心も身体も病んでしまって、生きるのが辛くなってしまう。
「何でもやれ」は、老いた自分への想像力が足りない
「何でもやれ」と言う人は、将来自分が老いたときのことを想像できていないのかもしれません。体力も精神力も、年齢とともに確実に弱っていく。特に40代は、それが目に見えて実感できる年代。
前半と後半では、まったくエネルギーの質が違う。そこをうまくコントロールできないと、思考もおかしくなって、パニックやヒステリー状態になることすらある。
終わりに
社会が求める“働き方”と、老いていく自分の“現実”が一致しなくなる瞬間が、40代以降には必ず来ます。だからこそ大切なのは、「無理をしない」という選択。
できることを、できる形で。失ったものを追い求めるのではなく、これからの自分にフィットする生き方を、自分自身で作っていく。その姿勢こそが、これからの時代に必要な「働く」ことの新しい形かもしれません。



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