50代という年齢のリアル:守るのか、譲るのか、飛び出すのか

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50代は「俺が俺が」と主張する年代ではない

50代にもなると、「これから俺は何を目指すんだ!」なんて意気込む年齢ではない――最近、つくづくそう思う。むしろ、そこで無理に意気込んでしまえば、団塊世代やバブル世代がやらかした「同じ過ち」を繰り返すだけだ。

あの世代は、中年になっても自分のポジションを手放さず、「俺が!俺が!」の精神を貫いた。その結果、就職氷河期世代の採用枠は大幅に絞られ、今になって「若手がいない!」「人手が足りない!」と職場で騒ぐ羽目になっている。自分たちで首を絞めただけの話だ。

50代は本来「若い人を支える側」

50代は、もう若い人を育てたりフォローしたりする世代だと思う。社会的な生産性が落ちてくる年代でもあり、会社で「自分の目標」を追い続けること自体がナンセンスに感じる。

もし本気で自分の夢を追いたいのなら、会社という組織の外へ飛び出して独立するしかない。それができないのであれば、若い人を支え、会社の未来をつくる側に回る必要がある。50代とは、そういう立ち位置だ。

採用側も「主張が強すぎる50代」を求めていない

採用する側だって、50代で自己主張が強すぎる求職者には引くだろう。年齢相応に、周囲とやわらかくコミュニケーションを取りつつ、あくまで「職場を支える存在」として振る舞う方が好印象だ。

若い世代に譲るべきところは素直に譲る。中年になっても若者のような主張を続けていればウザがられ、ただの迷惑になる。50代で働くとは、ある程度の“割り切り”を受け入れることでもある。

仕事だけでは心がもたない ―― だから「自分の居場所」が必要

ただ、割り切りだけの人生では精神が辛くなる。支えるだけ、譲るだけの生き方では、心がどこかで潰れてしまう。

だからこそ 仕事の外に、自分の居場所を作ることが大切だ。

僕にとっては、それがブログだった。もしブログを書いていなかったら、もっと人生は辛かっただろうし、精神的に追い詰められ、自殺していたかもしれない。今でも楽とは言えないが、それでも文章を書くことで心の整理ができている。

書くことで、自分の人生を確認できる

文章を書くと、自分の人生をおさらいできる。「案外、自分って面白い生き方してるじゃないか」と感じられる瞬間もある。その小さな発見が、まだ生きていける理由になる。

50代は“バランスを取る”年代

50代は、守りに入るだけの年代でも、若いように突っ張る年代でもない。
譲りながら、割り切りながら、そして仕事の外にもう一つの居場所を持つ――。

そんなバランスを探していくのが、50代という年齢なのかもしれない。

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