世の中が“狂ったように見える”理由と、僕らの向き合い方

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最近、世の中がおかしな方向に進んでいると感じることが多くなった。
ところが、その状況を話しても「陰謀論だ」と一蹴されてしまう。
今この瞬間に起きていることさえ、まともに話題にできない空気がある。

僕はずっと考えてきた。
なんでも「陰謀論」とラベルを貼る人たちは――

現実を知っていて誤魔化しているのか、
それとも本当に現実が見えていないのか。

もし後者だとしたら、正直 “鈍感” というレベルを超えている。
「ちゃんと生きてますか?」と言いたくなるほど、
目の前の出来事が視野に入っていない人がいる。

■ 陰謀論扱いが増えた社会背景

たとえば、ワクチンや感染症をめぐる議論。
海外の一部では強い疑念や批判が起きているし、
日本でも副反応や政策への不信感が話題になることはある。
しかしそれを少しでも口にすれば、

「反ワク」「陰謀論者」「頭がおかしい」

――そんなレッテルが飛んでくる。

疑問を持つこと自体は悪ではないのに、
社会はいつの間にか “考えること” に対して不寛容になってしまった。

■ 「現実を見ること」と「心が壊れること」の間で

僕が陰謀論にハマっていると言われるとき、
“現実から逃げるためだろ” と笑われることがある。
だけど僕自身の感覚はその逆だ。

現実を見過ぎてしまうから、働けなくなっている。

世の中の仕組みや社会の空気に敏感になりすぎると、
どうしても心が摩耗する。
働くこと自体に前向きになれず、気持ちが沈んでしまう。

無理に仕事を決めてもすぐ辞めるだろうし、
辞めなかったとしても心を病む未来が見える。
だからこそ、どう働くべきかを慎重に考えている最中だ。

■ “報われない社会” で疲弊する人々

今の職場環境は、多くの人が疲れ切っている。
家計はギリギリ、ストレスは限界。
その結果、余裕を失った人たちが周囲に当たり散らし、
職場がさらに荒んでいく――そんな話をよく耳にする。

「働いても働いても報われない」

そう感じている人は多い。
格差や貧困が広がる背景には、政治・経済の構造の問題があり、
個人の努力だけではどうにもならない部分が確実に存在する。

■ 混沌の時代をどう生きるか

こんな “こじれた” 世の中で生きていくには、
上手に距離をとりながら穏やかに暮らす技術が必要だ。

すぐ感情的になる人は、現実を受け止めきれていない部分が多い。
逆に、現実を把握しすぎても心が壊れてしまう。

大事なのは、

見えるべき現実は見る。
見なくていいところは距離を置く。

そのバランスだ。

僕自身も、まだその答えを探している途中。
ただひとつ言えるのは、
どんなに世の中が狂って見えたとしても、
自分の心まで狂わせる必要はないということだ。

穏やかに、しかし確かに生きる道は、必ずある。

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