
年の終わりに見た、核ミサイルの夢
今年も今日で終わりだ。
昨夜、なかなか洒落にならない夢を見た。核ミサイルの爆風に巻き込まれる夢である。
夢の中で僕は「伏せろー!」などと叫び、自分も地面に伏せて、ただ死ぬのを待っていた。抵抗も希望もなく、覚悟だけが妙にリアルだった。
日頃からこんな思考をしているから、こんなくだらない夢を見るのだろう。
世の中は相変わらず荒れている。こんな状態でも上手に生きられるようにならなければいけないのだが、僕にはそれがかなり難しい。
コミュニケーションという最大の壁
最低限のコミュニケーションスキルが重要だということは、頭では分かっている。
しかし、僕にはそれがほとんど無い。
人と関わりたくないという気持ちが強く、自ら孤独の道を選び、世間との距離をどんどん広げてきた。
人間が嫌いすぎて、女性を意識することすらなくなった。結局、女性との関係も「人間関係」でしかない。
極度の人間嫌いでコミュ障な人間が、普通の会社で働くのはかなり厳しい。
周囲に合わせることが、どうしてもできない。
孤立は不幸なのか
外から見れば、孤立している人間は「可哀想な奴」に見えるかもしれない。
だが、孤立している人間は、人と関わるのが嫌だから孤立しているのだ。
無理やり人と関わるほうが、よほど苦痛になる。
それを「寂しい」「可哀想」と一括りにされるのは、正直なところ違和感がある。
僕のような人間が社会に馴染むのは、なかなか難しい。
特に僕は、同調圧力が大嫌いだ。周囲と同じことができない。
世間的に見ておかしな部分が、僕の意識とは無関係に外へ漏れ出てしまう。
そのせいで、変な人だと思われることも多い。
無意識で書くということ
毎日こうしてブログで文章を書いているのも、普通の視点から見ればおかしいのかもしれない。
ぶっちゃけ、何を書こうか事前に考えていない。
無意識のまま文字を打ち込んでいる。
脳みそにあるものを勝手に引っ張り出し、手が勝手に文字を入力している感覚だ。
整ってもいないし、立派でもない。
ただ、頭の中にあるものを外に出しているだけだ。
変人として生きる難しさ
変人度が高い人間は、一般社会に溶け込むのが本当に難しい。
しかも、変人はあまり良い目立ち方をしない。
それでも、これが自分なのだと思うしかない。
社会に合わせきれないまま、年の終わりを迎えた。
今年も、生き延びただけで良しとしよう。


