
Xに流れる「人身事故」という文字を見て思うこと
Xを見ていると、仕事始めの時期らしく、早速「人身事故」という文字を目にした。
この言葉を見るたびに、毎回同じことを考えてしまう。
人は、そんなに急いで自分から死ななくても、時間が経てばいずれ死ぬ。
それなのに、生きることがそこまで苦しくなる瞬間が、本当にあるのだろうか、と。
もちろん、他人の苦しみを軽く見ているわけではない。
ただ、どうしても自分の感覚として、そこまで追い詰められる心境が想像しきれない部分がある。
どん底にいても、自分から死ぬ気にはならない
僕自身、今は人生どん底のどん底だと思っている。
無職で、金もなく、将来の見通しも明るくはない。
それでも、自分から死のうという気には、どうしてもなれない。
電車にはねられて死ぬなんて、怖すぎて考えただけで無理だ。
病気や事故、戦争のように、自分の意思とは関係なく訪れる死なら、ある程度の諦めもつく。
だが、自分の足で線路に飛び込むという行為は、どう考えてもできない。
この感覚が臆病さなのか、それとも単に生への未練なのか、自分でもよくわからない。
仕事が原因なら、辞めればいいと思っている
もし苦しみの原因が仕事なら、僕は「辞めればいい」と思っている。
綺麗事ではなく、これは本音だ。
それ以外の理由については、正直なところ、僕にはわからない。
家庭の問題なのか、健康の問題なのか、人間関係なのか。
そこまで追い詰められた人の内側は、当事者にしか見えない世界なのだろう。
底辺の職場で生き残るのは、意地の悪い人間だけ
僕は、いわゆる底辺と呼ばれる職場しか経験していない。
その中で強く感じたのは、底辺の職場で長く生き残れるのは、意地の悪い人間だけだということだ。
心が穏やかな人、真面目で優しい人ほど、最終的にはその職場を去っていく。
逆に、他人を蹴落とすことに躊躇がない人間だけが、居場所を確保していく。
理不尽だが、これは何度も見てきた現実だ。
派遣社員として見てきた現実
僕は34歳までは役職について働いていた。
だが、それ以降はポジション的に末端となり、30代後半からは派遣社員として働くようになった。
派遣社員として、いろいろな会社を見てきた。
はらわたが煮えくり返るような言葉を投げられたことも、決して少なくない。
だが、派遣という立場では、ぐっとこらえるしかなかった。
反論すれば契約終了、黙っていれば心が削れていく。
その繰り返しに、だんだんバカバカしくなって仕事を辞める。
そして次の職場へ行き、また同じことを繰り返す。
無職は不安だが、心はそこまで悪くない
今は無職を続けている。
お金はないし、不安がないと言えば嘘になる。
それでも、精神状態はそこまで悪くない。
少なくとも、職場にいた頃のように、毎日心をすり減らしてはいない。
仕事の職場というのは、精神を壊す場所なのだ、という意識を最初から持っていたほうがいい。
最初からそう思っていれば、余計な期待もせず、無駄に悩まずに済む。
また、あの場所へ戻る日が来る
いずれ、僕はまた働かなければならない。
そして、また似たような場所へ行くのだろう。
そのとき、自分がどうなっているのかはわからない。
耐えられるのか、またすぐ辞めるのか、それとも少しはうまくやれるのか。
ただ一つ言えるのは、職場に人生を期待しすぎないことだ。
仕事は生きるための手段であって、心を捧げる場所ではない。
そう思いながら、次に進むしかないのだと思っている。


