奴隷労働で寿命を使い切る人生に、もう耐えられない

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仕事始めと、休み明けの罪悪感

今日は仕事始め。労働者の多くは、憂鬱な気分を抱えながら職場へ向かっているのだろう。無職である自分には出勤そのものはないが、それでも休み明けの平日というのは、なぜか罪悪感のようなものがつきまとう。社会から一歩外れている感覚が強まり、落ち着かない気分になる。

自分は社会不適合者だという自覚

正直に言って、僕は自分を社会不適合者だと思っている。働かなければいけないという意識はある。しかし、心も体もまったく前向きにならない。むしろ、働き始めた瞬間から精神状態が悪化することが、はっきりと想像できてしまう。

「慣れれば何とかなる」「我慢すれば続く」という言葉もあるが、それが通用しない人間も確実に存在する。僕は、どうやらそのタイプだ。

外国人だらけの職場が与えるストレス

さらに問題なのが、職場環境だ。周囲が外国人ばかりの現場に放り込まれた場合、精神へのダメージは一気に跳ね上がる。異文化や言語の壁という以前に、孤立感や疎外感が容赦なく心を削ってくる。

今、日本では外国人労働者が急激に増えている。末端の会社や現場に行けば行くほど、その状況に直面する確率は高い。これは個人の好き嫌いの問題ではなく、精神的に耐えられるかどうかの話だ。

51歳という現実

51歳という年齢は、サラリーマンとしてはとっくに終盤、いや終わっていると言っていい。選べる仕事は限られ、その限られた選択肢の中から、何とか生き延びるための仕事を選ばなければならない。

若い頃のように「何でもやります」とは言えないし、企業側もそんな年齢の人間に多くを期待していない。現実は、かなりシビアだ。

奴隷労働で人生を終える虚しさ

このまま、奴隷のような労働を寿命が尽きるまで続けて終わる人生は、あまりにもつまらない。仮に病気もせず生きられたとして、寿命があと30年あったとしても、まともに動けるのはせいぜい20年程度だろう。

80代になれば、体は思うように動かなくなる。そんな未来は、誰にでも想像できる。

70歳まで働けという狂気

日本政府は70歳まで働かせたいようだが、正直、正気の沙汰とは思えない。ほとんど「死ぬ直前まで働け」と言っているのと同じだ。

体力も気力も削り切られた状態で、ただ生き延びるために働く人生に、どれほどの意味があるのだろうか。

家で収入を得る仕組みは必須

だからこそ、個人で、家で収入を得られる仕組みを作ることは、もはや「理想」ではなく「必須」だと思っている。それを作らなければ、死ぬまで会社に縛られ、奴隷労働を続けるしかなくなる。

自由になるのは簡単ではない。しかし、何もしなければ現状は一生変わらない。少なくとも、自分の人生を会社だけに預けないための足場は、今からでも作る必要がある。

仕事始めの日に、そんなことを改めて考えさせられた。

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