
【偏差値-】
大分市大東中学校
加害生徒備考 : 無抵抗の被害者に暴力
※モザイク有り pic.twitter.com/tfK0SKM1I9— DEATHDOL NOTE (サブ垢) (@deathdolnote) January 7, 2026
いじめと偽善の社会で、生き残ってきたという話
最近、学校でのいじめのニュースをよく目にする。
そのたびに、どうしても中学生の頃の記憶がよみがえってくる。
僕自身、殴られたことがある。
壁に頭を思い切り打ち付けられたこともある。
通りすがりに、何の前触れもなく腹にパンチを入れられたこともあった。
便所で集団に囲まれて、胸ぐらを掴まれ、殴られたこともある。
だから今でも、同窓会には一度も行っていない。
行く理由がないし、行きたいとも思わない。
正直に言えば、当時の自分はいじめられても仕方がない人間だったと思っている。
無口で、何を考えているのかわからない。
殴られても、なぜかヘラヘラしていた。
今振り返っても、「やられてもしょうがなかったのかもしれない」と思う自分がいる。
いじめは、今に始まった話ではない。
昔からあったし、これからも形を変えて続くのだろう。
自分がいじめられているのも見たし、他人がいじめられているのを見る側にもなった。
人間嫌いになった理由の一部は、間違いなくこの経験にある。
世の中は、きれいごとと暴力でできている
子どもの頃から、うっすら感じていたことがある。
世の中は偽善で成り立っている、という感覚だ。
表向きは、立派な言葉が並ぶ。
「優しさ」「思いやり」「正義」。
でも、少し裏を覗けば、驚くほど野蛮な世界が広がっている。
僕はそれを、たくさん見てきた。
そしてその偽善は、あとになって必ずしわ寄せになる。
ブーメランのように、投げた本人たちに返ってくる。
今の日本社会も、まさにそれだと思っている。
政府やメディアがもっともらしいことを言い、国民を誘導する。
国民は深く考えず、それに従ってきた。
その結果が、今の経済状況であり、社会の閉塞感だ。
日本そのものが、静かに崩れてきている。
それでも、まだ気づかない人は多い。
大人になっても、怒鳴る人は減らない
会社という場所に行くと、すぐにブチギレる人間が驚くほど多い。
物事を考える前に、感情が先に口から飛び出る。
僕自身、40代以降は、他人に対してかなり控えめな対応を心がけている。
それでも、意味もなく怒鳴られる場面には何度も遭遇してきた。
自分がやっていないことで怒鳴られたこともある。
面倒なので、その場では謝った。
あとになって、僕のせいではなかったと判明した。
すると、怒鳴った本人は僕の顔をまともに見られなくなっていた。
それが現実だ。
感情と口の間に、頭が必要だ
感情があること自体は、悪いことではない。
問題は、感情と口の間に「頭」が入らないことだ。
イライラしているから人を怒鳴る。
それは、イライラしているから人を殴るのと、構造は同じだ。
頭を通さない言葉は、ただの暴力になる。
残念ながら、頭を使わない人に、何を言っても理解はされない。
理屈ではなく、感情でしか世界を見ていないからだ。
最後に
いじめも、社会の偽善も、感情的な人間も、昔から変わっていない。
変わったのは、それがより見えやすくなっただけだと思っている。
僕はもう、無理に理解されようとはしない。
距離を取り、静かに、自分の頭で考えて生きていくだけだ。
それが、この社会で生き残るための、僕なりの答えである。


