働けと言われる時代に、外国人労働者を教育する日本人が追い込まれていく現実

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働けと言われ続ける現実

ネット上では「働け」と何度も言われる。しかし、正直に言えば、働いても働かなくても、行き着く先が地獄に見える人は少なくない。働いた先で何が待っているのか。現場の実情を知れば、その不安は決して大げさではない。

外国人労働者に依存する日本の職場

日本の多くの職場では、慢性的な人手不足を背景に、外国人労働者の受け入れが拡大している。ベトナムやインドネシアからの人材が減ってきた結果、次は別の国から人を入れようという動きが進む。これは個々の外国人の問題ではなく、場当たり的な人材確保に依存してきた制度の問題だ。

外国人労働者を教育する現場の現実

現場にいる日本人労働者の負担は確実に増えている。言語や文化が異なる新人を教育するには、十分な準備と支援が必要だ。本来は通訳が不可欠であり、基礎教育も段階的に行うべきである。

僕自身、20代前半の頃、電子部品の実装機の操作や修理を、海外から来た研修生に毎年3ヶ月間教えていた経験がある。当時は通訳も配置され、研修生も母国の工場で基礎を身につけた上で来日していた。それでも教育は簡単ではなかった。

ところが現在は、通訳が十分に用意されず、仕事の基礎を知らないまま現場に投入されるケースも少なくない。その教育を担うのは、余裕のない日本人労働者だ。こうした現実を理解した上で、無職の人に対して一方的に「働け」と言っているのだろうか。

外国人労働者より上のポジションであればまだしも、下の立場で指示を受ける側になると、精神的な負担はさらに増す。僕自身、一昨年その状況を経験し、強い閉塞感を味わった。

経営側が選ぶ外国人労働者と補助金

経営の側が、日本人労働者をどこまで大切にしているのかも疑問が残る。中高年の日本人を雇うより、補助金の出る若い外国人労働者を雇う方がコスト面で有利になる制度がある。その結果、仕事が減ったときに整理されるのは日本人の方、という構図が生まれている。

外国人受け入れそのものが問題なのではない

問題は、外国人を受け入れること自体ではない。受け入れの規模、教育体制、通訳や生活支援、キャリア形成、そして日本人労働者の処遇改善まで含めた、長期的で責任ある設計が欠けていることだ。

日本社会の将来について思うこと

日本そのものの将来に不安を感じる人も多いだろう。たとえ日本が存続し続けたとしても、現行のやり方のままでは、現場の疲弊と分断は深まるだけだ。多様な人材が安心して働ける環境を作るには、感情的な対立ではなく、制度と現実を直視した議論が必要だと思う。

※おわりに 「働け」という言葉の前に、どんな職場で、どんな支援があり、誰がどんな負担を背負うのか。その問いを社会全体で共有することが、まず必要なのではないだろうか。

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