時間に追いつけないまま、それでも働かないと詰む50代の現実

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時間だけが先に進んでいく感覚

今の自分は、どうにも時間の流れに気持ちが追いついていかない。

気がつけば今週も終わり、そして1月ももう終わろうとしている。何かをした記憶も、前に進んだ実感もないまま、ただカレンダーだけが淡々と次へ進んでいく。そんな感覚の中にいると、「自分は何のために生きているんだろう」と考えてしまう。

この短い人生の時間を使って、結局は労働をしなければならない。そう考えた瞬間、人生そのものが急に薄っぺらく見えてくる。生きるために働き、働くために時間を消費し、気がつけばまた一年が終わっている。その繰り返しに、意味はあるのかと自問してしまう。

変わらない求人と、削られていく気力

今、ネットで求人を眺めているが、表示されるのは何年も前から見覚えのある、毎度おなじみの常連求人ばかりだ。条件も仕事内容もほとんど変わらない。選択肢が多いようで、実際は何も変わっていない。

「どうしたものかな」と悩んでいるうちに、また時間だけが過ぎていく。結論は出ないまま、気力だけが削られていく。

嫌々働くという精神的ハードさ

世の中のほとんどの人は、仕事を嫌々やりながら生きているのだと思う。明確な目標や目的、目指すものがない状態で、それでも毎日働いている。今の自分から見れば、それはかなり精神的にハードな生き方だ。心を無にしないと、とてもじゃないが続けられない。

目指すものを持てる人は、異次元に見える

一方で、衰退していく社会の中でも、はっきりと「目指すもの」を持っている人がいる。普通の一般労働者でその思考を維持できているとしたら、正直、自分には異次元の存在に見える。

未来に希望がなく、死を待つ感覚

自分にエネルギーが湧いてこない理由は、たぶん単純だ。未来に希望がまったく見えず、「あとは死ぬのを待っているだけ」という感覚になっているからだと思う。

50歳を超えると、異性との出会いを求めなくなるし、同時に求められなくもなる。生きていて、ときめくような出来事はほとんどない。日常は静かで、変化も刺激もない。

衰えていく体と、前向きになれない現実

体力も、若い頃とは比べものにならないくらい落ちている。無理がきかないし、疲れは抜けにくい。気力、体力、希望、そのどれもが衰えている状況で、前向きな気持ちを保てと言われても、それはなかなか難しい。

奴隷として生きるか、自分の道を作るか

残された人生をどう生きるかを考えると、選択肢は極端に見えてくる。

外で働き、割り切って奴隷のように生きるか。それとも、実現性は低いが、自分なりの道を作って生きていくか。その二択のように感じてしまう。

本当は、その中間を目指したい。完全に会社に縛られるわけでもなく、かといって夢だけを追って現実から逃げるわけでもない生き方。しかし「中間を目指す」という思考は、結局どっちつかずになりやすい。両方が中途半端になり、何も得られないまま時間だけが過ぎていく危険もある。

今はとにかく、動かないと詰む

それでも今は、理想を語っている場合ではない。正直なところ、奴隷でもいいから動かないと、いろいろと切羽詰まっている。考え続けるだけでは、状況は何一つ変わらない。

希望がないままでも、気力が湧かなくても、とりあえず目の前の現実に手を伸ばすしかない。そう割り切ること自体が、今の自分にとっては精一杯の選択なのかもしれない。

結論は出ないまま、今の気持ちを書き残す

この文章は、前向きな結論を出すためのものではない。ただ、今の正直な気持ちを、そのまま書き残しておきたかった。それだけだ。

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