
今回の衆議院選挙は、不正を露骨にやりすぎたのではないか――そんな感覚を僕は強く抱いている。
そして同じように違和感を覚えている国民も、少しずつ増えてきているように感じる。
僕自身、河野太郎氏が小選挙区でダントツ1位で当選している時点で、「これはおかしいのではないか」と確信に近い思いを抱いた。
もちろん公式には結果が発表されている。
だが、世の中の空気や評価との乖離があまりにも大きいように思えたのだ。
選挙が揺らぐということの意味
選挙は民主主義の根幹だ。
政策がどうこう以前に、その土台が揺らいでいると感じた瞬間、国の形そのものが崩れているのではないかと思ってしまう。
もし仮に不正が事実として明らかになるようなことがあれば、
さすがにおとなしいと言われる日本人も黙ってはいないだろう。
それは単なる政権批判ではなく、国家の信頼そのものの崩壊だ。
自民党はただでは済まないのではないか
不正選挙に気づいている人が今、確実に増えていると僕は感じている。
このまま疑念が広がれば、自民党もただでは済まないのではないか。
高市氏も、自民党が圧勝したとされる状況にもかかわらず、どこか表情が怯えているように僕には見えた。
ここまでやるとは思っていなかった――
そんな戸惑いがあるようにも感じられた。
もちろんこれは僕の主観だ。
だが、政治家の空気や微妙な変化に、人は何かを感じ取るものだ。
常に監視される政治の世界
高市氏も常に監視されている状態なのではないか、と想像してしまうことがある。
少しでもおかしな動きをすれば、安倍氏のような事態になってしまう――
そんな緊張感の中にいるのではないか、と。
これも確証がある話ではない。
しかし、日本の政治の裏側には、目に見えない圧力や力関係が存在しているように思えてならないのだ。
薄皮を剥がせば闇だらけの構造
日本という国は、薄皮を剥がせば闇だらけなのではないか。
権力。
利権。
金。
それらが複雑に絡み合い、水面下で血みどろの戦いが繰り広げられている。
僕から見ると、そういう世界はただただ耳障りで、消耗するだけのものに思える。
仙人のように生きたいという願望
だからこそ僕は、ときどき思う。
仙人のように、自然に溶け込んで静かに生きたい、と。
権力争いも、疑念も、怒りもない場所で、ただ淡々と生きる。
だが、それは生きているうちは叶わない願いなのかもしれない。
もしかすると、それは死後にしか辿り着けない境地なのだろうか。
そう考えながらも、僕は今日もこの社会の中で生きている。
違和感を抱えたまま、それでも目を背けずに。

