子供の頃江戸川区に住んでいたときの思い出

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今日はハロワーの帰りは千葉みなとの方に行って、飯を食って帰ってきました。千葉みなと駅の近くに、ごはんどき千葉みなと店という店があるのだが、そこでちょっと値が張るがカツ丼を食ってきた。

松屋の並の牛めしの2倍以上の値段だけあって、やっぱり旨かった。店の雰囲気もだだっ広くて、ゆったりしていてくつろげた。松屋は混雑すると、店内がぎゅうぎゅうでくつろげません。

千葉みなと駅から今日は帰ってきたのだが、電車から見える景色は東京湾が見えていて、若干東京の香りがする景色だった。

僕は小学3年生の1学期まで、東京の江戸川区に住んでました。千葉みなとから江戸川区までもそんなに距離はない。かすかにその頃の記憶が残ってるが、やっぱり東京はいいなあーと思う。東京は家賃が高いから僕には住めない。

Googleマップで見たら、篠崎公園がありました。僕はこの公園の近くに住んでました。公園の門も昔のまんまですね。僕はこの門によく登ってました。

そしてこの場所で紙芝居屋が来て、僕も紙芝居をよく見に行ってました。また行ってみたいが、車では行けないだろうな〜。道が滅茶苦茶狭くて、車一台路上に止めると、道が塞がってしまう。東京の道はホント狭い。

僕が通っていた幼稚園です。僕が通っていたときに、建物の建て替えをやってました。おそらくその頃と今の建物は変わっていないような気がします。

僕は幼稚園のときは、すごい美人の先生に面倒見てもらってて、その先生とツーショットの写真も何枚も残っている。卒園のときも門の前でツーショット写真を撮っていた。僕は幼稚園の時から無口で、ずっとつきっきりで面倒見てくれてたし、可愛がられてた。

卒園するときは、僕はその先生と別れるのが辛くて、泣くの必死に堪えてたんだけど泣いてた。その先生はそんなに太ってるわけではないが、ちょっとだけむっちりしていて、昭和の色気ムンムンな女性だった。今はもう老人になってるだろう。もしかしたら、死んでるかもしれない。

遠足のときは、僕が持ってきた水筒の水を、なぜかその先生はいきなり飲んだのを覚えている。その頃の僕は、単純に汚いな〜と思ったけど、今考えると間接キスだったw 僕は無口で一人ぼっちだったから、その先生が近くにいることが多かった。2年間ともその先生が担任だった。

僕が小学3年の1学期まで通った学校です。篠崎第二小学校です。この頃は同級生で常に一緒に遊ぶ女の子がいました。めぐみちゃんと言います。小学校入学する前から、一緒に遊んでいた女の子です。

その子の家が、僕の家の斜め後ろの家で、その子と遊んでいたときの写真や、小学校の入学式で一緒に並んで撮った写真も残っている。

その子は、僕よりも身長がデカくてぽっちゃりしてました。おそらく僕がぽっちゃり好きになったのは、この子の影響だと思う。空気で膨らますプールとか一緒に入って遊んでいた記憶がある。

小学校に入学してからは、少しずつ周囲と喋るようになってきました。めぐみちゃんとはその前から普通に喋って遊んでいた。段々と喋るようになって、小学校の3年で千葉に引っ越すことになった。

篠崎を離れるときは、僕もさみしくて泣いてました。千葉県にある小学校に転校したら、また無口になりました。その無口は高校卒業まで続き、社会人になってもしばらくは喋れない状態が続いた。高校の3年間が一番地獄だった。

最後に篠崎ポニーランドの話になるが、僕は子供の頃よくここでポニーに乗りました。今でもポニーランドやってるんだな〜。

ポニーが走ることはないが、歩いているポニーに乗っかる感じです。確か無料で乗れたと思う。

東京の江戸川区は懐かしくて涙出るわ〜。

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