
文章の奥に見える“同一人物”
5ちゃんねるの某スレッドを見ていると、「これ、1人で2役やってるんじゃないか?」と思えるやりとりを見かけることがあります。1人の投稿に対して、もう1人がタイミングよく反応――でも、文章の質や癖をよく見れば、同一人物が書いているとわかるんです。IPを変えて投稿してるんでしょうね。
僕は文章と15年近く付き合ってきたので、文体からその人の人柄や精神状態を想像することができます。「ああ、この人は心が病んでるな」とか「この人は根っこが真面目だな」とか、そういうのが読み取れてしまうんです。
コメントの中に感じた“成長”
先日、久しぶりに「15年ストーカー」からのコメントを見かけました。もっとも、NGワードに引っかかってしまったせいで、コメントは自動的にゴミ箱に直行していたのですが、その中に彼の文章を見つけたんです。
X(旧Twitter)にも少し書いたのですが、今回のコメントを読んで少し驚きました。というのも、文章の雰囲気が昔とどこか違っていたんです。皮肉なことに、彼も人間として少し成長しているように思えました。おそらく社会に出て働き始め、苦労を重ねたのでしょう。文章にはまだ癖がありますが、以前に比べてずいぶんと大人になっているのを感じました。
そんな変化を感じ取ったとき、自分自身、何やってんだろうと思って、ちょっと虚しくなったんです。コメントを見てあれこれ感じてしまっている自分に対して――なんだかな、という気持ちがふと湧いてきた。
皮肉な話ですが、そんな15年ストーカーを、いまでは少し応援したくなるような、複雑な気持ちになっています。
攻撃の裏側にあるもの
今現在も、スレッドで僕のことを執拗に煽ってくる人がいます。でも、そういう人も結局、身の回りの現実に何かしら追い詰められていて、その鬱憤の矛先を僕に向けているだけなのかもしれないなと思うようになりました。他人を傷つけることで、自分の心の穴を埋めようとしている――そういう姿が見えてしまうんです。



コメント
と、思いきや、相変わらずの奴のコメントが来たわw
表示はさせないけどな。